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3.15 更新


2017年に入って見たもの。忘れっぽいのでリストの一つ一つ全てについて記録しなおしたい。しかし何でもかんでも無理に言語化するとむしろよくないのかもしれない。

 

Take Ninagawa 加藤泉

CHANEL NEXUS HALL 「Memento Mori - Robert Mapplethorpe Photographs from the Peter Marino Collection」

シュウゴアーツ 三嶋りつ惠「星々」

タカイシイギャラリー 荒川医 「Tryst」

小山登美夫ギャラリー グループ展

g/pギャラリー 小山泰介 「Generated X」

OVER THE BORDER 佐藤拓人 「scholē」

URANO 「unclear nuclear」

Rat Hole gallery  アンコーリアー「 Women With Cameras」

タカイシイギャラリー ヴァルダ・カイヴァーノ

 

国立新美術館 草間彌生

       ミュシャ

森美術館 N・Sハルシャ 「チャーミングな旅」

上野の森美術館 VOCA展

東京都美術館 ティツィアーノヴェネツィア

西洋美術館 シャセリオー展

ワタリウム美術館 コンタクトゴンゾ「フィジカトピア」

三菱一号館美術館 オルセーのナビ派

東京ステーションギャラリー「パロディ、二重の声 日本の1970年代」

国立新美術館 五美卒展

横浜美術館 篠山紀信 「写真力」

原美術館 エリザベスペイトン「Still life 静/生」

オペラシティアートギャラリー山本耀司・朝倉優佳「画と機」

東京都写真美術館 アピチャッポン「亡霊たち」

BankART 柳幸典 「ワンダリングポジション」

 サントリー美術館 「小田野直武と秋田蘭画

 

 Kiasma - Nykytaiteen Museo

 Ateneum Art Museum

Helsinki Art Museum HAM 

 Designmuseo Design Museum

 Finnish National Gallery

 Amos Anderson Art Museum

 Museum of Finnish Architecture

 Kunsthalle Helsinki

 Munch-museet

 Astrup Fearnley Museet

 Nasjonalmuseet for kunst

 Museum of Contemporary Art Oslo

 Kunstindustrimuseet

 Vikingskipshuset

 Frammuseet

 Moderna Museet

 Nationalmuseum

 Nobel Museum

 Bonniers Konsthall

 Tensta konsthall

 Liljevalchs

 Statens Museum for Kunst

 Ny Carlsberg Glyptotek

 Thorvaldsen Museum

Danish Museum of Art & Design

Hirschsprung Collection

 Louisiana Museum of Modern Art

 Kunsthal Charlottenborg

 Nikolaj Kunsthal

 

お嬢さん

バンコクナイツ

話す犬を、放す

スプリング、ハズ、カム

ミスペレグリンと奇妙なこどもたち

タンジェリン

虐殺器官

ララランド

(ギンザザ)

ひなぎく

たかが世界のおわり

ドクターストレンジ

(500日のサマー)

ザ・コンサルタント

沈黙

改宗

(愛おぼえていますか)

カティンの森

かもめ食堂

おっさん

気温6℃ 湿度78% 曇天 月齢8.92 宵月


 「そりゃ人命を軽んじてるわけではないし文化的作法を弁えているにしても」「心構えの意味でアーティストはテロリストとさほど変わんないよォ、なァ?」と口々に言い合って目の前の小さなおっさんがフッと消えた。違うだろ。



 「違うだろ」「いやそれ偏見」「無理」で話が終わる。この断定の強さはなんなのだろう。語彙が乏しいのではなくそこに強かに考え続けることへの全面的な放棄を見る。まあ私はここで小さなおっさんの話を終えますけど……

 とにかく他人から「いいね!」をもらうために優しく振る舞おうと努力せざるをえない。そんなあまりにも息苦しい、うっとうしい不文律があるとする。その不文律に対しておまえは、おまえという人格は社会のリソースではない、そのしみったれた自己犠牲精神を捨てろ、社会に飼い慣らされた豚をやめろと何らかの形で表現するテロリストはアーティストと紙一重……みたいな、どっかで聞いた話だな。やっぱりこの話はここでやめよう。


 以下のリストは好きなもの。それは自分の内側を構成する(自分の足元に集めてその所有を主張する趣味まみれの自宅倉庫)ものというよりはなんというか、外側へ、より遠くへ軽やかに抜け出ていくための準備運動みたいなもの。飛び石でできた道。

 時差、小さなサイコロ、豆電池、ガチャポン、枯山水、石膏像、螺旋階段、吊り橋、岩塩、白い砂、はさみ、使わないルーズリーフ、単行本のスピン、買うつもりのないキーホルダーの並ぶ商品棚、使い方のわからない暗号に似たスパイス瓶、オリーヴ、ニベア缶、風に揺れるカーテン、潮が満ちるときに波が立てる音、革靴の手入れ、シーシャの落とす影、川、鳥、ティーインフューザー、狭い演劇小屋に満ちる熱気、金属製アイスクリームスプーン、バターナイフ、タロットカード、あらゆる聖域、漫画の帯、ミニトマトのヘタ、旅先の書店に並ぶ料理本、大学のアトリエ、万年筆を洗う時にインクが水中にほどけていくその色の移ろい、夜の高速道路、人気のない喫茶店、早朝の教室、差し出したカクテルを目の前の相手が写真に撮る瞬間、映画の予告編、地図に印をつける行為、単語帳、使い道のなくなった外国通貨、飛行場、最寄りの遺跡、トマソン、恐竜、白シャツ、氷、火、薬局、病院の中の売店、コーヒーにミルクや砂糖を入れて混ぜないままにすること、地下倉庫、天窓、パラフィン紙、オーガンジーかいわれ大根をとにかくなんにでも乗せること、ふえるワカメを使ったいたずら、片方無くなったピアス、閉園後のプール、枠線、扇形、ゴリラの真似



砂時計を模したカクテルグラスを作りたい。
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言葉を慎むのが難しい。

今年もあの日が

気温14℃ 湿度64% 晴れ 6.92 宵月 啓蟄


 
 「ウチら激ヤバ!みんな変態だしキャラ濃すぎっしょマジサイコー!!!」の本質はそのグループを構成するメンバーの特異性ではなく関係性にある。関係が良いから個々がより生き生きする。のんびりのびのび和やかな場の雰囲気も関係性が生む。逆に言えば関係が悪ければ生き生きした個の魅力は抑圧され、無かったことになる。憧れをベースとした関係性はこの意味で不利だ。人が距離感を間違えるときに、近すぎるのではなく遠すぎるほうで間違う現象は目立たないが頻繁に生じる。相手に嫌われているのではないか、馬鹿にされているのではないかという勘違いもまた。



 「ハリウッドは人種差別はしない。年齢と体重では差別するけど」
 家の周りを歩いていて「ありゃ、このへん、こんなに日本人って多かったっけ?」と驚く。同様に「こんなにご老人多かった?」「車椅子、多いな?」「ベビーカー、こんなに多かった?」全て認知バイアスによるもの。彼らは以前から存在したが私は注意を払ってこなかった。それだけ。私の認識する世界は偏見や認知の歪みにまみれ、気づく度に訂正することが許されているだけで偏見や歪みを主観から完全に取り除くことはできない。そして客観は主観においてしか成り立たない。
 旅に出て遠方で素晴らしいモノに出会うと、「こんなものをここで見つけた!」という驚きとともに今まで自分の外側にあったその土地に屈服する。旅は決して侵略ではない。これは、このモノは別に極東の民である私によって見出だされるためにここに眠っていたわけではない。誰のためでもなく自立して素晴らしい。
 地球になりたい。もし自分が星になるとしてその星を選ぶのなら、私は地球になりたいと思う。土に還るのが今から楽しみで仕方がない!



 「あの子、いかにもマジメぇってカンジ。マジメでジュンボク。バーに似合わないよねぇ」
 一瞬自分のことを取り沙汰されているのかと思いきやそうではないらしい。飲み屋の店先に立って一年経つものの、雰囲気に馴染んだという感触を覚えたことはない。化粧が濃いぞとお客に不平を言われることはあっても(余計なお世話だ)。




 震災や核をテーマとした展示を足繁く回り、そのたびに会場でぼうっと過ごす。3.11。今年もあの日がやってくる。
 私には言葉が無い、と口にするところの意味は語る資格がないという大仰な自責の念を意味するものでなく、生き残った側の罪悪感は既に僅かな埃を被っている。日本にとっては大事件だったのかもしれないが世界には他にも悲惨な記憶が無数にあるじゃないかそれも毎年更新され続けて、という屁にもならない言い逃れを飲み込んで、もう私は途方に暮れてさえいない。テレビニュースが映す黙祷を季節行事と聞き流す人々に紛れて暮らす。災害が風化するのは早い。
 「あの日、あの年が私の零年だ」と心に決めた人もいるのではないだろうか。その人の零年。そこから全てが始まったと見なした地点。私は高校生の頃まだ物心がついていなかった。とはいえ3.11を区切りに何かが生まれでた、決定的に変わったという感触はない。その日を私の零とすることはできない。





 作品について。人々の関心を惹くため、人々の感動を得るためにと欲望され意図された時点でその工夫はストゥディウムに回収される。人の心を動かした奇跡を奇跡と呼ぶことを私は選ぶ。人々の意識からこぼれ落ちるものを尊重する。

 美大受験に予備校は便利だが必要不可欠とはいえないという淡白な持論は、予備校の人間関係や環境に培われ育まれその恩恵を十分に得てきた人にとって暴論なのかもしれない。私はこうも考えている。制作や表現の洗練において美大は便利だが必要不可欠とはいえない、教育を基準としたプロアマの区別やカーストなんてくそ食らえと。ただ私は自分が今いるこの環境の性質を慎重に吟味した上でかなり気に入っているし、多くの利点に気づいている。
 人脈を育むために~という考え方は他人を自分の目的達成のための道具と見なしている点で非倫理的で下品である。感情のレベルで言っても嫌いだ。私は処世術でもってのしあがるためにここにいるわけではない、なんて硬派を気取ってみたりして。そう言いながらも人との関わりを大切にしなければならないことに気づいている。頼まれて絵を描く。頼まれてDTPをやる。頼まれて絵画教室をやる……最近能動的にならずとも、人に頼まれて自分が役に立つことが増えた。相手の期待を裏切らない振る舞いを、と神経質になるより素直に楽しむつもりだ。もともと自分から一切何もせずにこの関係が築き上げられたわけではないのだし、温かく迎え入れてくれた人達に返礼する良い機会だと思う。

スプリングオペラ / 展示のこと

気温3℃ 湿度76% 月齢4.92 夕月 雨水

 

 桃の節句だった。桃の節句だったから桃と桜のリキュールを用いてスプリングオペラを提供した。ミントチェリーをグラスに沈ませながら、私の心は静かに躍った。

 スプリングオペラ!再び世に春が巡ってきたことを祝って!どうぞ歌唱劇のようにドラマチックにお過ごしください。私は球根とともに冬眠ないし心中します。

 

 

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(写真はhttp://www.barreaux.net/sake/springoperaから拝借したもの。就業中は写真が撮れない。)

 

 

 

 展示を回りながら、いつだってなんとはなしに作品に同級生の面影を探している。都内有数の美術展、ここは見ておくといいよ と教わったコマーシャルギャラリー(私たちが1回生の頃、先生が作ったリストに従って)、古今東西の映画、油彩や現代美術からは外れるけれど自身の関心範囲である日本画やデザイン、服飾の展示……。

 学生の展示を私はあまり見に行かない。同年代の人々がどういう作品を作っているのか、興味がないわけではもちろんない。見なければならない(と私が勝手に判断した)展示が他に多すぎて回る余裕がないのは事実だし、距離感が狂って作品と冷静に向き合えないから、私情を挟み込み批評的に見れないのが苦手だから、という理由もある。こうして書いてみると、なんというかもう少し肩肘張らず遊びにいけばいいのにとも感じる。

 3月は年度の変わり目、年と年の境にぱっくり開いた亀裂だ。この一年を自分がどう過ごしてきたか、嫌が応にも振り返らざるをえない出来事に多く足をすくわれる。それは時に柔らかい喜びをもたらし、苦々しい記憶を呼び覚ます。

 

 

 

 ギャラリー シュウゴアーツにて三嶋りつ惠 「星々」を見た。

星々 – ShugoArts

 

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 千変万化するひかりたち。ここに光が一瞬ごとに移ろいゆくいのちとして表れている。踊っているみたいに愉しげなかたちだ。

 紹介の文章に「星は光の別称」という言葉があった。「今夜は星が見えないね」という人に「これだって星なんだけど」と地球をげしげし蹴ってみせたところで笑って流される。そんなことを思い出しながら目の前にある触れられない透き通った硝子を見やると、光を発するものとして、あるいは光の受け皿として存在し続ける星と自然に重なった。この時私にしては珍しく、発想や技術を盗み参照し吸収すべき先達の作例として鑑賞するのではなく、ただ感傷的な気分に身を任せて作品と向き合っていた。 記憶を手繰り寄せるようにして同級生の作品を幾つか想起したのだ。

 その作品の制作者のプロアマ問わず、学生かそうでないかに関係なく、記憶に残る作品の想起は当然私だけでなく他の人の精神においても起こるだろう。しかし私の作ったものを誰かが思い出すことについては何一つ具体的なイメージがわかない。それは他人に期待し要請するものではなく奇跡のようなことだ。誰も自分以外の心を支配することはできない(そもそも自分自身を支配し扱いこなすのだって、可能であるかと問われればかなり怪しい。字面がもっともらしいだけで意味が不明瞭である)。

 

 展示を回りながら、いつだって作品に同級生の面影を探している。すでに世に広く認められた作家の完成品を見る傍らで、大学のアトリエに並ぶ未完成たちのことを考えるのが好きだ。その時その未熟さでしか作り上げられないだろう、その一回性に支えられた作品のまばゆさを愛しく思う。

 

 

 

 

立冬に入る

気温16℃ 湿度79% 月齢8.81 九夜月 立冬

11月1日 大学に行った。

11月2日 大学に行った。

11月3日 目がみっつになった。

11月4日 大学に行った。

11月5日 大学に行った。

11月6日 さなぎになった。

11月7日 大学に行った。

11月8日 目がふたつにもどった。

 

 

私が日に日にろくでもない人間になっていくのをよそに何度目かの冬が来た。バーの店先にポインセチアがいた。てごわい。

 

■これまでのバイト遍歴を振り返る 

今まで携わってきた9つのバイトを振り返る。私は移り気で飽きっぽいから、どんなに恵まれた仕事だと分析していても2年もやれば気が済むし、気が済んだら次に移ることにしてきた。思えば高校の頃は毎日新宿と吉祥寺に通っていたにも関わらず、その周辺でバイト先を決めなかった。もったいないのかもしれない。でもその頃は習い事に打ち込んでいて、バイトする時間なんかほとんど作らなかった。

 

①回転寿司のホール

初めてのバイト。高校2年の頃に従事。

回転寿司の設備や環境はレジャー施設のようなもので(だってsushiがくるくる回るんだよお、あんなにも奇妙な空間他にある?)非常に興味深く好感が持てた。ただ仕事内容は自分が経験した数あるバイトの中で最も相性が悪く、大変だった。接客文句を発するのにいちいち絶叫しなければならなかった。

 

良いところ:活気にあふれている。設備が面白い。男女比半々(ちょい男の人が多めか?)。

悪いところ:頭髪規定が厳しい。声が枯れる。他人との連携プレーが下手だと致命的。

 

 

不二家のケーキ工場スタッフ

高校のクリスマス繁忙期に短期契約。無数のケーキがベルトコンベアに運ばれ、着々と完成していくワクワク空間だった。ワクワク空間は2日でその輝きを失ったけれど。ワクワク空間というよりワクワク期間だった。休憩室の高みから、寒々しい青空を背景にした巨大な工場設備を眺めるのが好きだった。おどろおどろしく、静かに確実に機能している。

 

良いところ:一人でコツコツ作業に没頭できる。まかないでケーキをもらえる。設備が面白い。男女比半々。

悪いところ:長期には向かない。単調。始業するまでの衛生的準備に手間がかかる。

 

 

③若菜の惣菜工場スタッフ

同じく春休み期間に短期。

ゴマをまぶす、

ゴマをまぶす、

ゴマをまぶす、

ゴマをひたすらまぶす、だとか、ごぼうを計量する、だとか、といった単純作業を繰り返すうちに、心がゆっくり死んだ、ので、私はレクイエムを口ずさみながら手に握ったゴマを、むかつくおばさんの頭にぶっかけた。目の前で泳ぐ魚をくすぐったり、ポッキー踊りを踊ったりすることにした。完璧なまでに空想が捗る仕事だった。むしろ空想が仕事の本体だった。

日頃のストレスの憂さ晴らしなのだろうか。パートの中年女性に嫌がらせを受けて困っていたところを、別の中年女性に助けてもらった。おばさんによって貶められたところを救うのもまたおばさん。世界はおばさんによって回っている。でもおばさん宇宙はおばさん宇宙で自己完結していてほしいし、おばさん以外を巻き込まないでほしいと私は思った。彼女からは帰りのバスで手作りのビーズのキーホルダーをもらった。

 

良いところ:設備環境は清潔。一人で作業に没頭できる。空想が捗る。

悪いところ:単調。人間環境が悪い。衛生管理が厳しい。時間の融通は利かない。女性比率が高すぎるのか殺伐としている。男の人は基本的にちやほやされるので働きやすいかも。

 

 

④ベーカリーのキッチン

朝4時起きしてバイトに向かった。介護施設に併設している小さなお店だった。

親方であるパン職人の手つきが鮮やか。手のかたちや動きに、何十年と仕事を続けてきたなりの精確さがあり、趣深かった。

 

良いところ:職人の手仕事を間近で見れる。就業人員が親方と私の二人だけなので、視界に人が無く、呼吸しやすい。

悪いところ:朝が早く、朝が早い。そして朝が早い。夜明けよりも早い。

 

 

⑤イオンスーパーのレジスタッフ

内容そのものは酷くつまらなかった。それでも時給と仲間に恵まれ、とても楽しく働くことができた。お菓子を差し入れしたり、他大バスケ部の男の子と仲良くなって張り合って英語の勉強をしたりした。このバイトを始めてから対人関係に対する気負いがぐっと減り、仲良くなりたいと思ったら自分から声をかけることが確実にできるようになった。ここで知り合った人とは今でもつながりがある。辞めたことを少し残念に思っている。

 

良いところ:派遣なので普通よりも格段に時給が良い。カゴに商品を移すのにテトリスのようなゲーム感覚が持てる。男女比は女性が圧倒的に多いものの、バイトリーダーが人格者だったためか人間環境は良かった。客が来ない間の、他のバイトと喋れる時間が多い。シフト管理なので時間の融通が利く。健康的な時間に帰宅できる。

悪いところ:バイトの制服があまりにダサい。頭髪や靴の指定が厳しい。他人と喋るのが嫌いなら煩わしく感じるかもしれない。創意工夫を持ってしても覆らない作業の単調さ。社員が無能。

 

 

⑥映画館の映写とチケットもぎり

とにかく特典で映画を無茶苦茶に観た。

9割がた大学生の職場というのは始めてだったと思う。惣菜工場はおばさん宇宙だったけれど、こちらは大学生の園。周辺にある、様々な大学の情報を得た。知人友人がデートで恋人と映画を見に来ている現場に何度も出くわし、笑いを噛み締めながらチケットの半券をちぎった。

 

良いところ:バイト仲間に見目麗しい人が多いので視覚的に楽しい。男女が全く同数なためか、気遣いが行き渡っていた。恋人を探すのにもってこい。映画を無料で見れるし売店でも割引が利く。映画の情報をいち早く知ることができるし、世間の反応も数値として把握できる。頭髪規定が緩い。

悪いところ:映写は基本的に一人で仕事を任される。単調。人手不足で時間の融通が利かない。拘束時間が長い。こちらもイオン系列なので制服はおしゃれとは言えない。

 

 

⑦宴会・結婚式披露宴のウェイトレス

現役。勤め始めて10ヶ月目。外注扱いの契約で都内の様々なホテルへ行き、多種多様なパーティを覗き見る機会を得た。バイト内容はバーテンダーと同等に最も面白い。その日によって着物を着たりチャイナドレスを身につけたり、あるいは客船に同乗することもある。

結婚式は何度見ても茶番のようだ。もちろん当事者達には並々ならぬ思いがあるのだろうが、仕事として執り行っている傍観者からすればこんなものかという感じ。会社の新人歓迎は下品な芸をやらされているところが多く、憂鬱な心地になった。

 

良いところ:毎度違うところへ赴く為、好奇心を満足させるだけの刺激がある。外注扱いなので、仕事に入りたい日の前日に連絡しても仕事をもらえる。時間の融通が利く。時給は良い。

悪いところ:頭髪規定が厳しく、場合によってはその場で髪を黒染めさせられる。移動時間が長い。人間環境が悪いところもある。他人との連携プレーができないと厳しい。

 

 

⑧有機野菜レストランのキッチン兼ホール

自家農園併設のレストラン。ここのことはよくわからない。というのも、(他に無いことだが)人間関係を理由に即日辞めたから。

 

 

バーテンダー

現役。勤め始めて8ヶ月目。何も言うことはない。良い仕事だと思う。

 

 

 

出来れば今年からは一年のまとめを、他人に見せてもいいぐらいの客観性を持って記録しておきたいと思う。できるかなあ。

1月に読んだ本

中洋の歴史と文化
トロイア戦争シュリーマン
ロビンソン・クルーソー デフォー
蝿の王 ゴールディング
世にも美しい数学入門 藤原正彦
根を持つこと ヴェイユ
ヨブ記講演 内村鑑三
世界の中心で愛を叫んだけもの エリスン
心はどのように遺伝するか 安藤寿康

考古学と海難文学と数学、思想、聖書、SF、遺伝学。いつも通りこの読書範囲には趣味嗜好も必然性も読み取れない。自分の思考と心の移ろいを言語に翻訳し、他者にとって理解可能な形式に整える必要を感じる。
私は日常の振舞いと内面とを切り離しすぎていると思う。何重にもして守らざるをえないほど切迫した傷が内面にあるのかというとそんなことはない。ただ他人に対する欲求が希薄なのだ。
己の加害性に対する想像力を欠いた人間を仮想敵にしている気がする。
優しいねと軽々しく他人に言うけれど、私は優しさを何か重要な要素のように見積もることをしない。


考古学。中洋という言葉を初めて見たのだけれど、具体的にどの地域を指すのか未だに把握できていない。

1月映画記録

2016年1月

[観た映画]
ブリッジオブスパイ
母と暮らせば
杉原千畝
シンドバット
パディントン
白鯨との闘い
ザ・ウォーク

観たいという素直な欲求に駆り立てられて観たというよりは、空いた時間を埋めるための手頃な手段として手札を切ったのが内実である。今年も昨年同様、年50本をノルマとし、100本を目標値として自分に課すのだろう。だろう、と書くのはそれが自分で決めたことでありながら他人事のような心地になるほどに、そもそもの動機が今の私にとって遠い存在になっているからだ。一度考え直す必要を感じている。惰性は綺麗じゃない。
映画館で映画を鑑賞することの贅沢は映像への集中(耽溺)密度に尽きる。映画は眼だけで観るものではないのだということ。
何年かぶりに映画のお供にポップコーンを買って、つまんだ。ヒアルロン酸ジュレソーダなんてものまでつけた。美容健康に良いとの謳い文句。化学的な味。
ここに挙げたもののうち、「ブリッジオブスパイ」と「白鯨との闘い」はパンフレットを購入した。どちらも個人的に高評価。特に白鯨は鑑賞後触発されて海難ものの世界に浸かるべく海難文学を読み出すほど。『白鯨』『ロビンソン・クルーソー』『蝿の王』。『蝿の王』は話に聞いていたものの、さすが辛辣な内容で読後はしんどかった……。あとで『十五少年漂流記』『宝島』も読みたい。

中断。後にまた書き足すかもしれないし、そのままになるかもしれない。