ブルーチーズは甘くない

言わずもがなこのブログはごく私的な覚書として作られたものである。鍵をかけないのは鍵をかける動機がとくになかったから。他人が読む可能性がゼロではないほうがいいだろうと感じる点はある。それは、あとで読み返しても意味を汲めるまともな文章が書くように心がけるだろうこと、または、(人は皆いつ死ぬかもわからないというのに!)書き残してはいけないようなことを記録しないだろうこと。

 

もう少し準備を整えられたらの話だけれど、ここを備忘録にしたいな、と今日ふと思った。

読書だけでなく、映画や音楽、それからたまには漫画のこととか、なんでもいい。手帳に残っている感想があまりに雑でその時の心境を解読できないことを、豊かな経験が指の隙間から零れ落ちていくかのように心もとなく感じ、もうすこし丁寧に記録する癖をつけたくなったのである。

今日少し読み進めたのは『タタール人の砂漠』と『帝国とナショナリズム』。私は基本的に背伸びして本を選ぶ癖がついているため、読み終えて感想を書こうとする局面で、必ず自分の語彙不足、知識不足、脳の欠陥、知性の敗北、人生の不条理を血涙流しながら呪う羽目になる。あとはリルケの『若き詩人への手紙』を再読した。

事典なので熟読にはならないけれど、『スパイス完全ガイド』をさらっと見た。カレーの研究ってわくわくするよね。この前は伊勢丹の地下へ赴いて生まれて初めて買ったラム肉を、血抜きしてカレーに入れた。

 

読書という行為は、目的の有無やその内容、あるいは環境条件に添って、複数のレベルに分けられる。我々の生・生活は時間的に有限であり、読む本の選択、及び読み方の選択といった、複数ある選択肢のなかからの優先順位の決定が肝要。そういったことを、暇な時間がなくなるにつけ強く思う。忙しい合間を縫っての読書は、暇なときの読書と「良くも悪くも」質が異なるのだ。なんでもかんでも手当たり次第に全て読んで、しかもその上、全てについてきっちり記録をつけなくては、と思い込むことほどあほらしいことはない。単にストレスになるだけだ。私は自分が読む本や読み方の吟味だけでも割と意識的にならないとできないし、また感想について書くのにも「なんとなく」ではいられない要素が結構多く、もうちょっと考えをまとめたいところである。

 

タイトルのブルーチーズですけど、ちょっと刺激的すぎないだろうか。昨日一口食べてボロボロ泣いた。蜂蜜をかけると口当たりが良くなるとのことだったので、早速今日KALDIで蜂蜜を買って帰ってきた。

食生活において大事なのは創意工夫ではなく集合知