読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

スプリングオペラ / 展示のこと

気温3℃ 湿度76% 月齢4.92 夕月 雨水

 

 桃の節句だった。桃の節句だったから桃と桜のリキュールを用いてスプリングオペラを提供した。ミントチェリーをグラスに沈ませながら、私の心は静かに躍った。

 スプリングオペラ!再び世に春が巡ってきたことを祝って!どうぞ歌唱劇のようにドラマチックにお過ごしください。私は球根とともに冬眠ないし心中します。

 

 

f:id:mrsk11:20170304020656j:plain

(写真はhttp://www.barreaux.net/sake/springoperaから拝借したもの。就業中は写真が撮れない。)

 

 

 

 展示を回りながら、いつだってなんとはなしに作品に同級生の面影を探している。都内有数の美術展、ここは見ておくといいよ と教わったコマーシャルギャラリー(私たちが1回生の頃、先生が作ったリストに従って)、古今東西の映画、油彩や現代美術からは外れるけれど自身の関心範囲である日本画やデザイン、服飾の展示……。

 学生の展示を私はあまり見に行かない。同年代の人々がどういう作品を作っているのか、興味がないわけではもちろんない。見なければならない(と私が勝手に判断した)展示が他に多すぎて回る余裕がないのは事実だし、距離感が狂って作品と冷静に向き合えないから、私情を挟み込み批評的に見れないのが苦手だから、という理由もある。こうして書いてみると、なんというかもう少し肩肘張らず遊びにいけばいいのにとも感じる。

 3月は年度の変わり目、年と年の境にぱっくり開いた亀裂だ。この一年を自分がどう過ごしてきたか、嫌が応にも振り返らざるをえない出来事に多く足をすくわれる。それは時に柔らかい喜びをもたらし、苦々しい記憶を呼び覚ます。

 

 

 

 ギャラリー シュウゴアーツにて三嶋りつ惠 「星々」を見た。

星々 – ShugoArts

 

f:id:mrsk11:20170304011343p:plainf:id:mrsk11:20170304011959j:plain

f:id:mrsk11:20170304011916j:plain

f:id:mrsk11:20170304011937j:plain

 

 千変万化するひかりたち。ここに光が一瞬ごとに移ろいゆくいのちとして表れている。踊っているみたいに愉しげなかたちだ。

 紹介の文章に「星は光の別称」という言葉があった。「今夜は星が見えないね」という人に「これだって星なんだけど」と地球をげしげし蹴ってみせたところで笑って流される。そんなことを思い出しながら目の前にある触れられない透き通った硝子を見やると、光を発するものとして、あるいは光の受け皿として存在し続ける星と自然に重なった。この時私にしては珍しく、発想や技術を盗み参照し吸収すべき先達の作例として鑑賞するのではなく、ただ感傷的な気分に身を任せて作品と向き合っていた。 記憶を手繰り寄せるようにして同級生の作品を幾つか想起したのだ。

 その作品の制作者のプロアマ問わず、学生かそうでないかに関係なく、記憶に残る作品の想起は当然私だけでなく他の人の精神においても起こるだろう。しかし私の作ったものを誰かが思い出すことについては何一つ具体的なイメージがわかない。それは他人に期待し要請するものではなく奇跡のようなことだ。誰も自分以外の心を支配することはできない(そもそも自分自身を支配し扱いこなすのだって、可能であるかと問われればかなり怪しい。字面がもっともらしいだけで意味が不明瞭である)。

 

 展示を回りながら、いつだって作品に同級生の面影を探している。すでに世に広く認められた作家の完成品を見る傍らで、大学のアトリエに並ぶ未完成たちのことを考えるのが好きだ。その時その未熟さでしか作り上げられないだろう、その一回性に支えられた作品のまばゆさを愛しく思う。